by radiolife カレンダー
カテゴリ
検索
ラジオ局のサイト
お気に入りブログ
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2006年 02月 18日
米朝よもやま噺(ABCラジオ)
今日のゲストは、サンケイホールの館長(?)・・・とにかく、サンケイホールのお偉いさん。(すいません、名前聞き逃しました。) 現在のラジオ大阪が建設される前にあった三百人規模のホール時代からのお知り合いだそうで、「米朝さんも忘れているような細かい事も覚えている人」。 米朝師匠が1200人も入るサンケイホールで独演会を始めるきっかけ(昭和46年夏)、というか口説き文句が、「東京のサンケイホールが閉館する事になって、続いて大阪もその予定です。会館二十周年の記念でもありますし、最後になりますのでぜひやってください」。 大成功に終わった事とホールの下で毎日毎日、新聞の輪転機が動いていて移動のタイミングを考えているうちに、閉館話はどこへやら。昭和47年正月に第二回と称して独演会(前回は、続けるつもりなかったので「第一回」とは、銘打たず)、また翌年の昭和48年7月には、「米朝十八番」と題して六日連続の独演会(実際は、テレビ番組の関係で中に一日お休みあり)を開催。このある意味無謀なアイデアは、クラシックの朝比奈さんが毎月ベートーベンのコンサートを開くというお話から、「では落語でもやりましょう!」というもの。「十八個分のまくらを考えるのが大変だった」と米朝師匠。 二日目終了後に、持病の痔が悪化したがなんとか最終日まで見事完走。館長さんは、「最悪の場合は休演も考えて、750円×1500人分の現金を準備していた」とのこと。 その後、痔の手術をしたが退院したら、誰か(私が聞き逃しました)に、「痔の手術のあとは乗馬をしなさい!」と勧められる・・・・「ジキルとハイド」。 サンケイホールのような大人数(定員1200人ほど)での落語について、米朝師匠は、「はじめは、仕草や表情が分からないから難しいのでは・・・と思っていたが逆に、言葉、話芸だけちゃんと通じるんだ、と感じ、その後の自信になった」とコお話しになっていました。また、「自分の落語の最高人数は、日比谷音楽堂の二千人」、「野外でも、夜間なら落語は出来るとおもった。ちょうど暗闇が小屋の中の暗幕のようになって、演者に集中できるんだろうなぁ」ともおっしゃっていました。(この辺りのお話は、月極ラジオ第四週の「落語で催眠術にかけることが芸」って話に通じていますね。) もちろん、このお話の中でも、「(クラシックコンサートのような)、いいお客さんが集まってくれたおかげです」、「笑う場所では、大声で笑ってくれて、静まるところでは本当にシーンと静まる」と、お客さんの重要性にもちゃんと米朝師匠は言及しておりました。 ところで、「米朝十八番」のときに話題になった「サンケイホール満杯にする自信がなかったので、米朝師匠には秘密で、ある団体と協賛という形にする予定だった。ホールを左右に二つに分け、我々は『サンケイ』だから右側、相手は左側って分けるつもりだったのだが、直前になってその団体の事務局長から、『上の者の許可が下りない』ということで協賛の話は流れた・・・。」の「ある団体」ってどこでしょうね? 新聞同業者でしょうか? 協賛できなくなっても、チテットは見事一週間で売り切れたそうです。
by radiolife
| 2006-02-18 14:03
| ABCラジオ
|
ファン申請 |
||